投影

悲しい児童虐待が後を絶たない。

 

怒りと悲しみではらわたが煮えくりかえる。

 

何に対しての怒りか考えてみる。

 

加害者はもちろんのこと、見て見ぬ振りした人、保身に走った学校・教育委員会

 

判断の甘い児童相談所、「うめき声を毎日のように聞いていた」とインタビュー

 

に答える人、、、、

 

被害者が意思表示できるのは、極めてまれで、どれだけの勇気を持って正に

 

「わらをもつかむ」思いで告白しただろうか、、、胸が張り裂けそうだ、、、

 

にもかかわらず、誰にも、どこにも真剣に扱ってもらえなかった。

 

このことで、すべてをあきらめる。何を言ってもダメなんだ、と学習する。

 

「無力感の学習」といって、DVや虐待から逃げられない心理状態。

 

「なぜ逃げないのか」と攻めても解決しない。

 

「逃げたいのに逃げられない理由」があるのだ。

 

そして加害者、「ごめんなさい、すみません」と謝っているにもかかわらず、

 

暴行を続ける。

 

なぜか

 

「ごめんなさい、ごめんなさい」「すみません、すみません」

 

と、謝れば謝るほど暴行はエスカレートする。

 

加害者は、「ごめんなさい、すみません」と謝る児童、配偶者に

 

自分を投影している。

 

児童や配偶者に日頃の自分を見るのだ。

 

権力に屈する情けない(と思っている)自分のようで許せないのだ。

 

そんなもの、もはや「しつけ」であるはずは無い。

 

己のコンプレックスの問題。

 

「しつけ」と称して虐待を正当化してはならない。

 

自分の問題として、きちんと受け止め、認知、行動の変容が必要だ。

 

加害者へのサポートをするNPOもあるが、少ない!

 

問題意識の無い人は参加しないし。

 

是非とも、加害者サポートのNPOを増やして欲しい。

 

そして、児相、教育委員会に、「喧嘩もめ事得意な、専門委員会

 

を作るべきだ!

 

と、私の師匠鷲津先生もおっしゃっていました。

 

賛成!

 

そして私たちができることは、見て見ぬふりしないこと。

 

誰かがもっと真剣に関わっていたら、10才の児童の命は助かっていたと思う。

 

 

 

 

 

 

 

いっしょに ゆっくり poco a poco